夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

日々雑感。

昨日は体重測らず。まあ、チートデイ、ということにする。一応腕立てとアブローラーを少しやる。全くNO運動、というのもどうかと思うからだ。

夜に一時間ほど歩く。7000歩だ。休日はどこにも出かけず歩くだけだと、1万歩はちときつい。家の周りのある程度決めた道をぐるりと2周した。時間と歩数を測りながら歩いた。たぶん一周30分、3500歩と思って歩いたらほぼその通りであった。

今はいろいろな計測器具があるし、そもそもスマホで歩数も時間もわかる。考えてみるとこれは便利なことである。昔は万歩計やら時計やらが必要であったわけなので。

時間を測るのに、ダイバーウォッチを用いている。時計は腕にまく大人のライダーベルト(仮面ライダーの変身アイテムですな)だと思っているので、ついつい買ってしまう。

考えてみると初期ライダーのベルトは回転式だ。時計も同じく、回転する。腹につけていると回転する様子が見にくいが、腕なら一目瞭然だ。そういう意味ではベルトより腕時計の方がよりいいともいえる。

服装や装身具は基本的に所属する組織に規定され強制されるものだ。特に服装はわかりやすい記号で、見ればその人物の属性がすぐにわかる。米国の縞々囚人服(あれはもうきないんですかね)はボーダー好きにはおしゃれに見えるし、兵士の服装も機能美の結晶である。それに比べてこれは偏見かもしれないのだが、日本の作業服や営業車はなんとも残念な感じがするのはなぜだろうか。かっこ悪い作業服を着て、かっこ悪い営業車で仕事をする。これは仕事とは時間を売り渡す、精神的な奴隷となることを意味する、と子供の時から感じていた。1880年代、命綱なしでフランスのエッフェル塔を作る作業者の映像を見た。帽子をかぶり、スーツらしきものを着ていた。矜持、という言葉が浮かんだ。

勿論体形などの問題もあるだろう。だが世界の男性の平均身長は175センチだというが、日本ではたしか172センチくらいまで上がっている。それほど差があるとも思えない。やはり「従業員が仕事でおしゃれな感じになるのはいやだ」という従来の経営の本音の感覚の所為だろうと思っている。要は従業員はどこまで行っても「使用人」である、という感覚だ。スーツもそうだ。いやいや着ている服ほど見ていて残念なものはない。

私の会社にも制服がある。これが嫌でできるだけ着ないようにしていた。だが着なければならなくなったとき、ふと気が付くと、自身の体に合わせて作ってくれるサービスがあると知った。これはもともととても太った人や大きい人用のサービスなのであろうが、これを利用して体にあった制服をオーダーしたのだ。そうするとあらふしぎ、なんだか着たくなってきた。

時計もそうだ。TPOに合わせなさい、営業マンはお客様より高級な可能性がある時計をしてはいけない、という。まあ、これは尤もではあるのだが、そうではないところではできるだけすきな服装、好きな時計くらいはしておきたい。シャツの色もできるだけ色付きにしていた。

まあ、ささやかな抵抗、というやつであろう。

ダイバーは仕事ではあまり合わない、といわれる。まあ今はコロナでまだ在宅も多いので別に人の服装にいろいろ言われることも少なくなった。それにそもそも時計をしない人も多くなった。ビジネスマン向けの中級機がメインのシチズンは、経営がだいぶ厳しいとも聞いた。

というようなことは、右手のダイバーには関係がない。通称ツナ缶と呼ばれる重量機であるが、2000円で買ったバリスティックナイロンのNATOストラップをつけると、とても軽く感じる。

(ついつい集めてしまう感覚、これ楽しいんですよねー)