幸せというのは、モノやコトではなく、自分の心の在り方であり、そのためにはどういう心のあり方でないと自分が幸せになれないかを明確にする必要がある。
勝間和代
幸せ、というものを、人は、いや、わたしは求めている。求めることはしかし、人それぞれだ。
わたしはどのようなこと、もの、状態を求めているのか。
本質的に、集団の中でほっておくと孤立しそうだ、つまり「変わった」人間である、という恐怖をもってきた。
これはやはり幼少期の経験がおおきい。男児の集団では、集団になじみ、運動することが求められる。これがわたしが一番初めに、皮膚感覚で体感したことであったろう。
そして、わたしは、それがうまく、できない。
これはやばいなあ、と思ってやってきた。
なので、すこし「迎合」する気配もある。だが多分、いろいろ見聞きする「女性同士の関係」より、「男性の関係」は楽にできている、ありがたいことに。いわゆる「会社」も、もちろん面倒なことは多くあるのだが、特にいまのコロナ禍のなか、人と人との関係が希薄化している。
それはどうやら、楽でもあるが、そうでもない部分もある。
だが、たぶんわたしはそれほど、孤独に耐えられない感じでもないようだ。自由にしたい、という思いも強いようだ。
何かを作り出したい、という欲求はどうやらあるようだ、なのでいつもなにかの触媒や資料を求めている感じがある。「いつか自らの創作に役立つかも」という感じである。
だがそうすると、資料や本を際限なく求めてしまう。もうすこし、厳選せねばな、という思いも、最近でてきたようである。
(自分のほしいものをあきらかにしてゆくのは、案外むつかしいですね。。)