夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

孤独とは何か。

孤独とはなんだろうか。

 

まず

字を見ると、”独”=一人で、の意味であるが、まず字を見たときの印象がある。

 

表意文字である漢字は、その形を見ることで心にそもそものイメージが与えられる。

国語的に正確ではないかもしれないが、獣と虫が並んでいるように見える。

 

これは、獣も、虫も、生き方が”独りである”ことを示しているように感じる。いや、獣も群れや家族があるだろう。虫だって繁殖する。群れを持つものもある。

そうだろう。だがそうだろうか。

 

獣も、虫も、厳しい自然の摂理に翻弄され、人間からみると一瞬に近いような生を生きているように、感じることがある。少なくとも、「幸せに群れている」ケースはまれである。

 

そして”孤”の字。いろいろな熟語があるなかで、日常使う言葉ではこの語はほぼ”孤独”という熟語で見るケースが95%ではないだろうか。孤老や孤児にしても、同じように”独り寂しく”という意味がぬぐいがたくこの語にまつわりついている。すくなくとも、この語自体を見るだけで、独と同じく寂しく、悲しい思いが心に沸いてくる。

 

そういう2語が並んでいるのである。

 

読むだけで、悲しく、怖くなるだろう。死、の前にある地獄、と思う向きさえあるだろう。

 

日本でもあったかもしれないが、たしか欧州のどこかの国で孤独相、という大臣が居たと思う。日本と外国で状況の違いがわからないが、日本でもなんらかの官僚組織が出来たような気がする。

 

ここでいう「孤独」は、対策すべき、社会的な、孤独だ。忌嫌すべきもの、できれば避けるべきもの、なので対策する、というニュアンスが伝わる。

それはそうだろう。社会的な孤独とは、例えば「孤独死」と直結する。孤独死がなにと関連するか。古い倒壊寸前のアパート、あるいは公営住宅の一室での死。死後発見されるのは、異臭がすることからだろう。

公営であればいい、とは言わないが、個人所有のアパートで発生すれば、その処理費用、その後の借り手の劣化、あるいは困難さからして、家主としては一番に避けたいものだ。個人的には気の毒だ、と思っていても、対応してあげられない(こうしたニーズを逆にとれば、例えば係累がない75歳以上の方に優先的に貸します。あってはならないことですが、もし孤独死さえるようであれば、その後の処理はxx保険で対応します、という仕事はあるかもしれない。xx保険は、家賃保証制度と同じく、孤独死保証制度、と言われるだろう)。

 

そうしたことへの対応は、なかなか良い手がないように思う。公的制度でいかないと、通常あるのは、”まわりの見守り””地域共済”といったものが”のぞまれる”。誰が、誰に、望むのか。これは無責任な物言いの典型だ。新聞などでこういう物言いを見ると虫唾が走る。望まれるまえに、自分が望めよ、と思う。望まれる、と書いた際は、自分の仕事ではないが、というニュアンスがもれなく含まれている、と思うのは、私だけだろうか。提言する私、やる人はだれか別の人だ(そういうものいいが嫌いで、生まれてからいままで新聞の社説はほとんど読みません)。

 

いや、話がそれた(気がする)。

 


心が、乱れたときは、座禅にて”今、ここ”を取り戻し、

池田晶子さんの本を読むといい、

といつからか思うようになった。

 

「自分」というものの畏るべき不思議さ、それを自分だと思い込んでいたものから、ひとつひとつ開放されてゆくことができるなら、自分とはそのまま宇宙大の孤独だったと、人は必ず気がつくでしょう。そのとき開ける光景を味わうことこそ、そうですね、人としてのこの世に存在したことの醍醐味だと言えるでしょうか。

池田晶子 死とはなにか P.42 初出2005年6月22日婦人公論

 

2007年2月の早すぎる死から(池田さんは、死は怖がるものではない、だれも経験していないから、とおっしゃっていましたが、残された我々はやはり残念でしかないわけで)2年ほどさかのぼった、池田さんにしてはすこし珍しく感じる婦人向け雑誌への寄稿からだ。

 

その時の、池田さんがご覧になっていた、宇宙、人生、生と死。そこから導かれる、「孤独」の逆説的豊穣さ。

 

そこで説かれる、「孤独」をこそ、あるいは人は、役所は、新聞の論説は、伝えるべきではないだろうか。孤独にならないように、大臣をつくりましょう。そういうニーズは確かにある。「経済的」に、あるいは「社会制度運営」的に。

 

だが生まれるとき一人、死ぬときも一人、同文で池田さんが引用されているように釈迦族のシッタールダが生まれたときに言ったとされる「天上天下唯我独尊」の意味はそのことだ、という喝破と共に、そういう理解はできれば私も、あなたも、必要ではないのだろうか。

 

孤独は「たまらん地獄」「絶対に陥りたくない地獄」ではない、すべてのひとが、生まれて死ぬまで気が付かずともある状態のことだ。

 

そう、池田さんはおっしゃっているのだ。

 

逃げずに、見つめよ。そういうメッセージでもあるのだろう。

(池田さんの本をよむと、少し背筋を伸ばしていただいた気がします)

 

死とは何か さて死んだのは誰なのか