「人間は一本の葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものの一つである。しかし、それは考える葦なのだ。人間を押し潰すためには全宇宙が武装する必要はない。蒸気や水の一滴でさえ人間を殺すに足りる。しかし、たとえ宇宙が人間を押し潰したとしても、人間は自分を殺す宇宙よりも気高いといえる。なぜならば、人間は自分が死ぬことを、また宇宙のほうが自分よりも優位だということを知っているからだ。宇宙はこうしたことを何も知らない」
パスカル パンセ抄
有名な”人間は考える葦である”というやつの続きを読むと、だいぶそのピックアップされた一行のみから得る印象とは違ったことを言っているように思うのはわたしだけであろうか。
考える、ということの凄さは、宇宙よりもすごいことだ、と言っているので、同じといえば同じなんだが、宇宙と人間を比較している文章の一部である、という点が、ちょっと意外というか。
人間であること、は宇宙であること、よりもすごいことだ、と思うことは面白いと言えば面白い。なにがどう凄いかはよくわからないが、だが”何言ってんの?”というトンデモ感はなく、”いやなるほど”と思うという点ではさすが名著、名言、ということだろう。
そしてこの言葉を読むと、なんとなく自分はすてたものではない、というか、人間って面白いかも、とか、そんな気持ちもそこはかとなく湧いてくる場合もあるかもしれない。そうか、葦ではあるが、考える、ということは最強武器なのか。
わが敬愛する池田晶子さんの、そして私が座右の銘としている素晴らしい喝、”悩むな!考えろ!”にも通じる気がする。考えることは、時間と地平を超えて、宇宙の果てをも突き抜ける。スピードとしては、光の比ではない。
素晴らしいことを”考える”のと、しょうもないことを”考える”のとではもちろん素晴らしいことのほうがいいような気もするのだが、考えているのなら(たんなる情報への反射・反応ではないのなら)しょうもなくてもそれはそれで、という感じも実はある。
いやなにがいいたいのか、よくわからなくなっては来たが。
まあ、結局やはり世界の名言、と言われることばは、なかなかやはり味わい深いなあ、ということになるでしょうか。
(「パンセ」は前に購入した記憶があります。積読中にどこかにうずもれてしまいましたが。。。。泣)