夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

直線と曲線。

鈴木大拙 神秘主義の中に、仏教の教えと美術との関わりを示そうと試みた、とする部分があった。

 

大拙のこの本は基本的にいわゆる”西欧人”向けである。聞き手は西欧人であるので、仏教や東洋の考え方は基本皆無である、として語られる。

 

これがいい。

 

"私”の中を振り返ってみると、いわゆる体感、実感として仏教や東洋が大拙が日本人ならこれくらいは知っていそうだ、と推察されるほどは全然ない。

 

知識がない、というよりは、身近な感じがしない、文化としてしみ込んでいない、薫蒸していない、という感じである。

 

なので、大拙により西洋人向けに英語で書かれたものを翻訳された文が、逆に読みやすい/多分理解しやすい。

 

残念だ、などということをいう人がいるのかもしれない。だが、”こうあるべき”というのは比較の言葉だ。誰が/何がこうだからこうすべし、は、無い。

 

思えば少々時代、気が付くと翻訳ものを手にしていた。小学校中学年時の愛読書はヒュー・ロフティングのドリトル先生

 

井伏鱒二(下訳者があったようだが)の確か名訳だったと思うが(記憶はあやふや)、どこかで翻訳文は日本語としてどうか、といったコメントを読んで、不思議に思ったことを思い出す。

 

もちろん、元の言語にひきずられ、語法や語感が自由にできない面もあるのだろう。しかしそれがゆえに”伝えよう”とする意識がある。読みやすさを求める努力があるだろう。

 

そのことをかずかずの翻訳物語(主にファンタジーであったが)を読んできて、それがどうやら日本語で物語(くどい(笑))を書く書き手のやっかみや偏見であるようにも感じたものだ。

 

東洋の考え方というのは、芸術家が魂を把握すると、その作品が色や線を伝えるもの以上の何ものかを表し出すのだ。真の芸術家は、一人の創造主であり、模倣家ではない。彼は神の創作現場を訪れて、創造、つまり、無から何ものかを創造する秘訣を習得したのだ。

P.59  鈴木大拙 神秘主義

 

それは心を、”空”、すなわち、ありのままに相応させておくことで、これによって対象と対立している人が、その対象の外にいる存在であることを止めて、その対象そのものになりきってしまうのである。 

 同P.60

 

対象が自らの絵を画くのだ。魂が自己に映った己れを見るのだ。このことは自己同一の場合も同様である。 

 同P.61

 

 大拙は、東洋の絵は魂をまず理解し、形は自ずから形成される、とする。一方で西洋の絵は形を強調し、形を通じて魂に到達しようとする、とする。

 

 さきほど翻訳の話をした。私はつたない絵を画くが(版画)、作画の技法もどちらかというと大拙のいう”西洋流”にて学んできた気がする。”形あるところに魂を入れる”。

 

 いろいろ逆転してはいるようだが、つまるところは、つまり本質は変わらないのだろう。

 

すなわち、芸術家の心得ている直線は、数学者にとっての直線とは異なったものである。つまり、芸術家の想う直線は、曲線と渾然一体となった直線なのだ、と。

 同P.61

 

直線と曲線は、考えてみれば境界はない。まっすぐ、と曲がっていることとの差はない。これは例の、いわゆる、無境界だ。無意識にものごとを区別して二つにしている考え方。差を、比較を、差異を餌にして生きるエゴ、の考え方。

 

まあ、曲線、直線にそこまでのドクサはないのだが、”まっすぐに画こう”という思いには気をつけるほうがいいだろう。

 

しかも、どの線にも、”次元の緊張状態”として知られているものがなければならない。活きている線というものはどれも単に一つの次元にあるものではなく、それは血の通ったものなのだ。すなわち、三つの次元に亘ってものなのである。 

 同P.62

 

どうしようもなく絵で表現したくなる思いがあるのは、そうした本来の線描がもつ3次元創生の魅力の所為であるのだろう。私が線を描くのか、線が私を画くのか。果たしてどちらだろう。

 

鈴木秀子氏が詩人、坂村真民の詩を紹介されていた。

 

よい、詩だとおもうので、自らの覚えも兼ねてここに転記させていただく。

 

鳥は飛ばねばならぬ

 

鳥は飛ばねばならぬ

人は生きねばならぬ

怒涛の海を

飛び行く鳥のように

混沌の世を生きねばならぬ

鳥は本能的に

暗黒を突破すれば

光明の島に着くことを知っている

そのように人も

一寸先は闇ではなく

光であることを知らねばならぬ

新しい年を迎えた日の朝

わたしに与えられた命題

鳥は飛ばねばならぬ

人は生きねばならぬ

 

 

念ずれば花ひらく

 

念ずれば

花ひらく

 

苦しいとき

母がいつも口にしていた

このことばを

わたしもいつのころからか

となえるようになった

そうして

そのたび

わたしの花が

ふしぎと

ひとつ

ひとつ

ひらいていった

 

茶の花

 

茶の花が

もう咲いている

垣根に

かすかに

ほんのりと

 

わたしも

ひさしぶりに

お茶をたてよう

ひとりしづかに

しんみりと 

 

鈴木さんは、部屋のどこかに貼って、こころを空にして繰り返し読んでみてはとおっしゃる。

 

良き詩を、紹介していただいた。

 

 

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神秘主義 キリスト教と仏教 (岩波文庫)

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  • 作者:鈴木 大拙
  • 発売日: 2020/05/16
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