池田晶子さんの本を読んで、
悩むな! 考えろ!
と喝を頂き、
では、悩むとはなにか、考えるとはなにか、と考え、
確かに、悩むと考えるは違うなあ、とまずは思ったのである。
考えるは、深みがある。水平にも垂直にも突き抜けることができる。
悩む、には、過去に過剰に引っ張っられたり、未来を思い悩むかたちでこれまたひっぱったり、している。
考える、には、過去があり、未来があったとしても、それを今のわたしが考えるの遡上に乗せて、そしてそこを足掛かりに飛翔しうるのだ。
そして思った。無限とはなにか。
通勤途上、歩いていて空を見ている箇所がある。
見上げて思う。空は、どう考えても、境界はないなあ。
そらの境界があったとして、その向こうに空ではないないかがある、
ということはないなあ。
つまり、そらは境界がなく、無限であり、毎日こうして上にあるんだなあ。
そして”上”。
これもないなあ。
重力があって、地球があって。
で、立っているだけで、
考えたらわかりやすい無限である空、宇宙の一部だなあ。
であれば、空は無限、地球も無限の一部、そうするとこの”私”もまた
無限のなかの一部だなあ。
別に無限はすごいことでもなく。偉いことでもなく。
まあ、とりあえずそのようにあるだけなのだが。
それがどうした。
どうもしない。
ただ、それだけであったのだ。