夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

新聞を読んで。

大学で文系が不要であると言われている。

これは、大多数の人間に、特に経済活動に於いて、文字が、文章が、単なる情報伝達の手段としてしか本質的には感じられていないことも関係していよう。

実学、という。この言葉の裏には、”文系、特に文学部なんて虚学だ”という意識が見えるようだ。

確かに、”稼ぐ”社員となるためには、特許の一つでも申請し、機械の整備を行い、図面が読めてものを設計する技術があるほうがいいだろう。

そして”文系”はどちらかというとマネージメントの技術だ。文系が不要だといっている人間、これは実はいわゆるマネージメント層にあたる公務員層であり、自身も文系である場合が多いと思う。

だったらなぜ。

深読みかもしれないが、だからよけいに、という要素もあるかもしれない。

自己保全の気持ちがどこか奥底にあり、そして”勉強不要で卒業できる大学の文系は使い物にならない”という意識。

そんな本音をベースにしているので、実際に大学から教養やノブリス・オブリージュといった反論が出ると、反論の腰が砕ける。

いや、砕けるのをわかった上で、まずは”世論に乗っける”ことを狙っているのかも、という深読みもできよう。

”言葉は情報を伝えるのみの道具ではない。世界や人間のありかを探り、存在せしめる力がある。世界は、そして人間は言葉でできているのである。”
 高野ムツオ 本日の読売新聞読書欄から

本が読まれなくなった時代の中で本を読むことは差別化となる。言葉が情報であると心から感じている世界の中で、こうした思いがあるとある意味これも差別化となる。

新聞を紙でじっくりよむことで、やっとこさ浮かび上がる上澄み液のように貴重な言葉がある。

読む、こちらの状態や意識に左右される。心が浮ついていると受信できない。


ひとりで暮らして、さあ朝食、洗濯、風呂、なんてやっているとなかなか心が落ち着かないことを実感している。

自宅に帰り、家事をやってもらうことのありがたさを感じている。

・・・ちょっと話が拡散してきた。

新聞を読んでということだった。

”哲学者ニーチェが唱えた人間の三つの段階を大切にしてきた。第一は、重荷を背負うラクダのように、しんどくても懸命に勉強する。そしてライオンのごとき精神でものごとを批判的に見、最後は新鮮な目で世界を見る赤ん坊の精神で創造する。”

 少年の夢 梅原猛著の紹介文より 本日の読売新聞読書欄から

読書欄ではもう一つ気になる著作が紹介されている。

ソロヴィヨフ 生の変容を求めて

ソロヴィヨフ 生の変容を求めて

ロシアの思想家ソロヴィヨフを紹介する本。

前回の記事でエックハルトを取り上げることで、現在の教会をベースとしたキリスト教のことを考えてみた。そしてシンクロニシティのようにこの紹介を見つけた。

月本昭男氏による同著の紹介文を引用する。

”著者によれば、彼の思想はロシア的霊性に深く根ざしている。ロシア的霊性とは、神の「似姿」として創造された人間のうちには神の息吹である聖霊がはたらくという宗教的感性である。初期キリスト教以来、綿々と引き継がれてきた「神と人の二つの意志の共働」という思想がそこに根づいている。西欧キリスト教は人間の自由意志を重んじ、神と人間を峻別したが、それとは異なる東方正教会の伝統である。”

すこし長い引用となったが、ここで僕はひっかかった。これは、昨日みたエックハルトの思想に繋がる面があるなあ!と。

神と人との関係が、宗教の中身を決定する。

神と人を違うと見るのか、”一”とみるのか。

そのことで、宗教の性格は大きくかわってくる。同じキリスト教でも、中身は違ってくる。これは仏教でもそうだろう。イスラム教もそうだと思う。

引用を続ける。

”神も人も自然も、全てが一つであり、一つとなりうることを、彼は「ソフィア」という伝統的理念をもって語りだした。”

ん?ソフィア??

これはグノーシス神話でも重要な役割を占める女神だな。

というかグノーシスでは”この”世界を作るきっかけとなる、でもうっかりした(このうっかりが悪を生む)女神だ。

だが、世界を作るそそうであったとしても、”だから世界は出来たのだ”。

ソフィア=知ること。知識ではなく”知恵”。



やはり池田さん、神について考えるのは、楽しいですね。