夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

車中雑感。

さて、車中である。

いささか酔っぱらっておりますので、ご容赦下さい。

本日考えたこと。


生きる、に関する言語麻薬。

人間(含むワタクシ)、自分だけは死なないと思っているのは考えたら不思議なことだ。

思っているのか、無意識に制御しているのか。


いずれにせよ、人の死を見て自分の死を想え、メメントモリ、といってもらってもなお、どうもそうならない。

これはもしかすると、精神を保持するための、人間にそなわった知恵的本能なのかもしれないが。

だがしかし、人の死で自分の死を思わない生も、自らの生が”良くなりそう”な情報には目がない。

たとえば、ゲノム解読。たとえばIP細胞。たとえば、臓器移植。

クローンというやつは、遺伝子は一緒でも、入っている?精神は自分のものではたぶんないだろう、と思われることも影響してか、昔ほど人気がなくなったようだ。

日本人の平均寿命が延びる、なんていうネタもいいねえ。。



池田晶子さんに言わせると、平均年齢などはくそくらえ、だという。

いや、池田さんが”クソ”とおしゃったわけではないが、まあ、人が長生きしようとしまいと、平均なんてものは自分には本質的にはなんの関係も無いものだ、という感じだろうか。

今ここに在る、自分という生が持っている瞬間は、奇跡であり、得難いものであり、そして永遠でもある。

そのことを忘れた生は、生としては残念なものだ。

なにかそのような教えを頂いた気がしている。


その伝でいくと、あの”健康年齢”、あの考え方はよくないねえ。

それがすぎると寝たきりか。人の世話になるしかない、もうあとは”お迎えを待つだけなのか”と感じるわな。


というようなものもある。


これらの概念、所詮は”生きるを考える”ことが不十分のなかのあがき、に見える。いや、考えるのが無駄だ、といいたいのではない。

生きる、を考える前に、生を無理やり伸ばそうとする、その心根がちょっと残念ですね、という感じであろうか。

ここまで書いて、寝落ち。。


夜の車中は厳しいですね。