”「和歌ヲ楽ミテ、ホトンド寝食ヲ忘ル」という彼の楽が、やがて自分の学問の内的動機に育つという強い予感、或は確信が、強く感じられるからだ。”
学問、とはなんだろうか。
寝食を忘れるほど熱中し、それを”果てしなく”継続することのうちにいつしか学問となる、道となる。
そのような流れで、無理やりではなくそうなってゆく。それが、一番であろう。
そしてその教えとは、自らの熱狂を、日々の姿を、ともに見せて溶け合ってゆく。
そのような形であろうと思う。
いまは、”稼ぐ手段”と成り果てている、”生きるテクニック”となりはてている。そんな嘆きを耳にしつつ、しかし僕たち私たち、学校ではどう学ぼうか。
葛藤があろう。しかしたぶん、接する、ということも重要なのだ。
接する=縁。
”えにし”とも発語したくなるもの。
ああ、ここでこの出会いがなかったら。
ひんやりと、薄氷を踏むおもいで、自らの足跡を顧みる人もあろう。そういう人は、幸せである。
本居宣長を通して、小林はみずからの足跡を、来たりし思いを、振り返っているようだ。
静かなものかもしれないが、確かにある”内なる熱狂”。
それこそが、学問を、”学ぶ”を、継続させるもの。
人に認められるためのものではない。”我が内にある道徳”の声を聴き、従うべきものだ。
さて、振り返ってわが身はいかに。
これほど多く、小林秀雄の”難解なる”書籍が読まれた背景には、もしかして人々のそのような思いがあったが故か、と思っている。
- 作者: 小林秀雄
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1992/05/29
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