夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

心持。

吉田満 病床断想 を読んだ。

P.109

”今踏みしめているこの人生こそ、唯一の真正のものだと、自ずから確信し肯定している。別に苦情をいう必要もない。
 これは、多少の戦争の経験のあいだに体験した、現在を充実して過ごすこつかもしれない。「われ事において後悔せず」という言葉がある。現在為し得、かつ、し甲斐のあること、それのみが、いつも関心事となっている。
(中略)
 積極的に、新しい事態に立向かう。
 こういうことは、いい傾向といえるかどうか。ただ自分には、幸いなことに思える。”

吉田満。1923−1979.

東京帝国大学法学部繰上げ卒業後、少尉に任官、戦艦「大和」乗組を命じられ沖縄特攻作戦に参加。生還後疎開先で吉川英治をしり、そのすすめで「戦艦大和ノ最後」を発表。

引用文は、そのような経歴を持つ作者が、東大グラウンドで運動中、サイダー瓶破裂で右目失明となったときの心境を書いたものである。

冷静に、客観的に、自分を見ている。

それが、みずからの生き方として、にじみでている。


僕には、一つの呪文がある。なにかあったとき、

「いかなることがあっても、物事を肯定的に考える」

と心の中で呟くのだ。そうすると、次になすべきことが、見えてくる、ことがある。いい手なのかどうか、わからないが、なにか動くこと。それが、その動きが、重要だろうと、思っている。

なにか、これは僕が人生で得た、一つの方法論、というやつであろうか。


右眼を失い、両目に包帯を巻かれ、作者は読書から離れざるを得ない。

P.104

”一人の人間の思想ないし人生観の特徴は、五つか六つの言葉に集約されるというが、自分の用語がいわばその骨格のいくつかの言葉だけに収縮してしまったような感じになる。
(中略)
何ものにも支えられない、自分の芯はどういうものなのかと、思案しつつ際限がない。”

作者はこのとき27歳。特攻作戦から生還したこともあるのだろうか、戦争が否応なく人を生と死に向かわせ、考えさせる、ということを感じる。それを、経た、人の言葉の、剄さ。