子供の頃は、文章を書く、ということとは縁遠かった。
普通は宿題で読書感想文、学校全体で懸賞に応募、といった機会があるのだろうが、余り記憶にない。どちらかというと、そのパッションは絵を描くほうに行っていたようだ。
絵を描く動機と、文を書く動機は、自分の中では同質で、そして絵を描く方が得意だった、ということなのだろう。
本日の読売新聞で、現役高校生エッセイストの華恵さんのインタビューを読んだ。
そのときにしか書けないことがある、と最近感じています、
とあった。
最近涼しくなったが、夏の間、暑いと殆ど頭は”暑い”でいっぱいになる。体がどう暑さに耐えるか、というテーマに全体で向かっている感じで、イキオイ、アウトプットはできない、インプットのみ、という感じである。
だから夏の間に昼間は殆どグッタリとしているのだが、その分早起きをして早朝の頭の動きに期待する。
まあ、華恵さんは、年代のことを言っているのだが、僕は時間帯のことを言っている。
であるが、こうして文章を綴ることは面白いな、と感じているところは、一緒である。
”文章を書くのは、本当に楽しい。ぎょっとするほど楽しい。真剣に楽しい。”
という箇所がある。
そして、新聞連載の最終回、
”私は世界を認識する仕方のひとつを提示したい。そうすることで社会に奉仕したい。だから読者の皆さんが大好きだ。”
ここを読んでいて、ふと、思った。
大学を出て、働く。
好きなこと、絵を描いたり、文章を書いたり。
それで金を稼ぐ、ということは、絵なり、文章なりを、人に気に入られるように、描き、書くことだ。
それは、楽しいかな?
そんなことを、そんなに明確な形ではなく、思っていたような気がする。あの頃。
池田晶子さんの文章で、小林秀雄の一喝、”てめえらとは覚悟が違う”を引いて、売るために文章を書くくらいなら、他にいくらでも仕事があり、自分はそれをする、というのがあった。
世のもの書き、とは、身過ぎ世過ぎのため、日々のパンのため、すきでもない文章を書き散らしている、という思いの人びともいるのであろう。
研究者を志すが、やむなく新聞社に就職した池田さんの父上も又、或いはそういった葛藤を密かに持つ人だったのかもしれない。
そういうところを知っていて、なおかつ志の高さを求める。
そういった純粋で、実も蓋もないところ、この場合の実や蓋が意味の無いことをあえて喝破してくれる。
これが親切ではなくてなんであろう。
じれったい、んでしょうね。
そういう意味では、山崎さんや華恵さんは、書きたいから、書く、というあたりまえのことを、感謝して当たり前にやっているから、まぶしい思いがするのだろう。
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