夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

手塚治虫、宮崎駿、父子相克。

手塚治虫新宝島(復刻版)を購入。

宮崎駿は、本書がその後の日本漫画界に与えた影響を認めつつ、手塚が作ったアニメーションは、ヒューマニズムを売り物にしているが為詰まらない、と切り捨てる(09年4月読売新聞インタビュー)。

雑多で、夢があって、しかし本質的に破壊的であるモダニズムは、その頃のムードを表現するのに最適で、そしてアトムもそうしたモダニズムをそもそもの出自とする。未来のイブしかり、メトロポリスのマリアしかり。野田昌宏のスペースオペラもそのような系譜であろう。
然るにその後、ヒューマニズム(敢えて安っぽいとは言いたくないが)に走ったとき、読者は、娯楽とカタルシスを求める大多数の読者は、果たして喜んで付いてきたのであろうか。
確かにヒューマニズムもカタルシスたりうる、が、それは少数者のカタルシス、マンガをマンガとして純粋に楽しむ層のカタルシスとは微妙に、しかし決定的にずれるものではないのか。

手塚治虫マンガ全集、というものが講談社から出ていた。アトムとサファイアを崇拝していた僕は、毎月4冊発売されるこの本を密かな個人的義務のように購入し続けた。3000円の小遣いに、1600円の購入。そしてそれは手塚治虫作品を初期から俯瞰してゆく作業でもあった。

宮崎の喝破はやはり慧眼で、初期のおおらかで享楽的なモダニズムこそが僕にとっては愉しく、陶然とする源泉であったが、昭和40年以降、”地上最大のロボット”でアニメとマンガの絶頂期を迎えた以降の手塚作品は、そのテーマとその線の両方で、身銭を切って購入していた僕の評価眼からはどうしても購入できないものであった。

手塚を崇拝し、カッパブックス”マンガの描き方”を愛読していた僕は、そう感じることに罪悪感を持った。神を疑うのか。
その頃、手塚のアニメが毎年1年に一回放映された。あたかもジブリ作品が日本の行事のであるかのように封切られるのにそれは似ていた、がその評価は残念ながら違ったように思う。

これはあくまで個人的な嗜好である。ヒューマニズムの手塚を好きな人はいるだろう。人気が無くなって悩む手塚を知り、なんとか応援せねば、と思ったものだ。でもそれは苦しかった。

自分の好きなものに素直でいこう、そう思うきっかけとなった。
好きな作品とそうでない作品がある。
宮崎作品は、素直に好きだ。自分の嗜好に、合う。流行っているものを好きだというのは好きではないし、みんなとは違う、と見せたい思いもあるが、それは執着かもしれない。

あの過剰な、豊饒な、やりすぎの部分が華だ。個人作品だ。だから共同作業ではない、言うとおりやってください、は仕方ないが、したで作業するのは苦しいとは思う。未来少年コナンを見て、これは素晴らしい、と心から思った。その拘りはしかし、相当数の嗜好には合っても、全ての人の嗜好にはあわないとも感じた。

個人技であるアニメを作っているので、手塚のアニメの批判が出来る。アニメを個人技とするには、全体を掌握し、暴君たらねばならない。超越した能力が必要である。ナウシカを映画で見たとき失望した。アニメージュ連載をはじめから読み込んでいた身には、スカスカの中身に見えた。マンガ版を知らない人には面白いのかもしれないと思ったが良くわからなかった。あのマンガが描ける人物。僕の中でマンガで手塚を超えていた。

その才能は、稀有であろう。ジブリという会社、継続して同レベルの作品を生み出す必要があるが、その肉体的なものはどうしようもない。そこで同レベルのものを生み出すように要求されることの困難さ。宮崎吾朗氏は本当に苦しい立場である。

次の監督作はあるのでしょうか、の問いに、
”次はまだ決めてません。アニメーションを作りたくてこの映画をやったわけではなくて、「ゲド戦記」だからやろうと思った。それと同じことがあればね。でもサラリーマンだから社長に言われたらわかりませんね(笑)”(MOE 2006.9)
と語る。もともと建築コンサルタントである氏が監督をすることは、サラリーマンとして仕方ないことであろうが、苦しいことであろう。ゲドではなく、「シュナの旅」とすべきであった。動きを、宮崎作品の徹底的なコピーでゆくべきであった。でもそれは難しいだろう。近藤喜文がいれば、或いは可能だったかもしれないが。

手塚、宮崎駿、そして吾朗。苦しい関係、厳しい関係。しかし作品が面白いかどうか、それが基本、それしかない。そこが物を作り出す人間の苦しみであろう。

完全復刻版 新寶島

完全復刻版 新寶島