哲学者・仏教学者の中村元氏のことを知ったのは、やはり池田晶子さんの著書、”魂とは何か”からであった。
”学問の仕事は、あくまでも、体験を論理により普遍化することにある。そうでなければ、学問をする理由がどこにある。”
魂とは何か P.195 『古い名前ー中村元氏』
相変わらずの直裁、本質の発現に僕は痺れて氏の著書がBOOK OFFに珍しく並んでいるのをふらふらと購入したのであった。
最近僕は池田さんの思考のあとを辿る、というにはあまりにもこちらのバックボーンが貧弱ではあるが、とにかく池田さんが著書で言及された書物(そして池田さんが読まれたのではないかな、と勝手に想像する本)にいきあたったら、できるだけ読もうと思っている。
そういう思いで古本屋をのぞくのが愉しいこと。
読もうと思っているが、基本的には”いつか”読もう、である。要は”積ん読”。
それでもおかげで、本棚には、読んでいない岩波文庫がだいぶたまってきたが、いつかよもうかな、という思いであまり焦ることは無い。それはそれでいいのかな。
最近愉しかったのは”ユング自伝2”。
ま、その話は置いておいて。
ブッダのことば、を読んでいて、驚いた。大変に、読みやすい。
以前、龍樹の中論を(中村氏以外の訳で)読んだのだが、やはり仏教用語の理解があまり無い身だからだろうか、その論理の本質が殆ど実感できず、”嗚呼、やはり仏典は難しい、読むのは無理なのかな”と仏教全体へ距離感を感じて残念に思ったものだ。
そんな経験からすると、この本は、妙にするするいきいきと意味が頭に入ってくる。人間ブッダの行為と思いが活写されている。非常に驚き、かつ仏教の始まりと、ブッダ本人が考えていたこと、その後の教団の思惑で編纂されたのではない、真の言葉に接する思いがした。
これはすごい本だな。
端的にそう感じた。
仏教を学んだ経験がある人には、常識かもしれないが、僕の場合は仏教、日本文化に根ざした”家、葬式、檀家、戒名”に代表される”義務感のある宗教”に違和感があったので、仏教というものへのアレルギーがあった。その後、禅、というものがあり、ちょっと違うな、という感じを持っていたが。
仏教は、当たり前だが、ゴーダマ・シッタルダさんが始めたものである。はじめよう、とかの思いではなく、その人の達した心境の高みに周りが感応して自然発生した、というような感じであろうか。で、あれば、やはり釈迦本人の思いを知るべきではないか。
本書を読んでのいちばんの収穫と感想は、上記に尽きるように思う。氏はニルヴァーナを”涅槃”ではなく”安らぎ”と訳されたという。全ての人に身近でわかり易い、そして自らも達することができるものとしての存在、心境である、ということが、このことにより端的に表される。出家するのが必要なのではない、そうした思いに接し、一切の執着を無くすこと、死をも、生をも、全ての愛情も憎しみも、いいものも、悪いものも。
そうした心境を読んで、生と死への池田さんの態度との共通性も感じた。やはり池田さんは生と死の面では解脱されていた、ということなのだろう。
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