全
ランキング参加中好きな絵を好きなように描こう! ランキング参加中創作家達の集いの場
言語とはその語を(翻訳も含め)操る人々の生をブーストする道具である。音声の届く範囲は限られていたが、録音技術により大きく拡大し、時間を超えることになった。文字は言語と相対することにより、録音技術のない時代から、思想や思考をこちらも時間を超…
コロナだ。 ひねもす家に居ると、うつうつとしてくる。 何のために生きてるの?と自問することともなろう。 このようにエックハルトにとって「存在」は、我々にとってのように、この上なく空虚なものではなくして、測れないほど豊かなものであり、「自らによ…
ヴェーダーンタ神秘主義といわれるものがある。 そして鈴木大拙がアプローチした禅。 西田幾多郎は大学の講義で、エックハルトを”キリスト教の禅坊主”と称したという。 この3者(3主義)にわざわざ区別や優劣をつける必要はないだろう。 そこには大書されて…
言葉が人間の発明(ことさら発明しようとしたわけではなく、発生した、というべきでしょうが)であり、 もう一つの人間の発明(「2大”発明したと思われてないが大きな”発明」、といってもいいかもしれません)は 時 となるのでしょうが、 これを言葉で表す…
仏教の”空”は、相対的次元の話ではない。 と、大拙は説く。 それは主観・客観、生・死、神・世界、有・無、イエス・ノー、肯定・否定など、あらゆる形の関係を超越した絶対空である。 仏教の空性の中には時間も、空間も、生成も、ものの実体性もすべてない。…
引き続き鈴木大拙”神秘主義”を読んでいる。 池田晶子さんは自らの著作群を評して、”どこをどう切っても金太郎飴のように同じことを述べている”とおっしゃっていたと記憶する。 これは全く卑下ではない。 高らかで誇らかなる宣言である。 ”いつも真実が私の口…
鈴木大拙「神秘主義」を引き続き拾い読みしている。 東西の叡智、仏陀とエックハルトを比較する、というよりは、 二人が同じ結論に至っているということがわかる。 特にエックハルトはキリスト教の中で異端として扱われるリスクを 賭しての説教であったのだ…
鈴木大拙 神秘主義の中に、仏教の教えと美術との関わりを示そうと試みた、とする部分があった。 大拙のこの本は基本的にいわゆる”西欧人”向けである。聞き手は西欧人であるので、仏教や東洋の考え方は基本皆無である、として語られる。 これがいい。 "私”の…
禅と日本文化 を読みだした。 禅と日本文化 (岩波新書) 作者:鈴木 大拙 発売日: 1940/09/01 メディア: 新書 そもそも本書は翻訳書である。 アメリカに渡り、何年もアメリカで暮らした大拙が、 アメリカ人の禅との(たぶん)初邂逅のための手引きとして 英文…
禅語に父母未生以前、というものがある。 不思議な言葉であるが、わかりやすく気づきを誘う言葉でもあるだろう。 ふつうは思わない。 自分は父母から生まれた。祖先があり、繋がって生まれてくるのが生命だ。 これはいかなる生命、あるいは存在でもあること…
宗教的精神と、宗教を信じる精神とは、まったく別のものである。 宗教的精神は、その社会の文化から心理的に自由である。 いかにして神と出会うか クリシュナムルティ P.25 人は生まれて、いわゆる”物心がつ”くと、その人が”たまたま”うまれついた環境に気づ…
夢おち、ということばがある。 あまりいい語感ではない。 だいたいは、まとまりきらない、とっちらかった、大風呂敷の話を 強引に落とすときに無理やり全部夢でした、 としてまとめる手法のことで、 オハナシとしては下の下、という印象がある。 ”夢でしか落…
肉体。 言葉を慣れ親しんで使っているなかで、 ふと言葉、あるいは漢字に含められた、成り立ちに関わる 先人の想い、というようなものを感じることがある。 例えば ”自分”。 これは池田さんもどこかでおっしゃっていたように思うが(どこだったかな)、 ”だ…
出エジプト記33章20節 また言われた。『あなたはわたしの顔をみることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである』」 この癖、”新年にはなんとなく改まった感じがする”を楽しんでおります。 会社勤めは実は時間通りに動くので…
善い。良い。悪い。 良い、ということばを口にすると、 心の奥底で不安が兆す。 あ、この状態がなくなると、この私・気持ち・意識はいやだと思うだろう。 なくなることへの不安。 これは嫌な形をとった、”甘美なる意識の餌”。 意識はそのゆらめきを食べて存…
全てがグラデーションであり、 境界は本来無い、という気づきは、当たり前のようではあるが、言われて気づくことでもある。 時代による変化。進化か、退化か、というジャッジもまた、裏に”善悪”の発想がある。 楽園喪失、アダムとイヴが知恵の実を蛇(アダム…
よく聴くがいい。 まず、思考について話そう。 思考とは、過去の知識の寄せ集めに他ならない。 思考は、決して現在である(今ここ)を知らない。 思考は(今ここ)を知ることができない。未来と過去について考えることはできる。 未来について考えていたこと…
意識とはどう定義すべきであるか。 ユングのいう集団的無意識、というものは、感覚的には超意識的というか、 精神の普段ある領域でのアップデートされる共通的なもの、という印象もあるし、 あるいはいわゆる太古からの動物的記憶、DNAへの記憶(記録)とい…
執着の反対語はなんであろうか。 ドクサの強い語である。 語に接するだけでも、なんらかの”執着”を自我に感じるほどの パワーのある語である。 今のわたしの気分では、たぶん”手放す”だ。 反対語、というものは、語が別々である、という意味だ。 非二元的に…
他者からどのように思われようとも、 無邪気な子供のように純粋に楽しめるなら、なんであれそれをするがいい。 起きることが起きるなら、あるがまま起こさせなさい。 高貴な存在になろうとせず、純粋な存在で在りなさい。 そこに善悪はない。 P.459 ヘルメス…
しかし、この、世の中には自分にはわからないことがある、ということをわかるだけでも、実は十分なのだ。自分にはわからないことがあるということさえわかっていない人は、決して進歩しない。それ以上考えることがないからである。 P.105 睥睨するヘーゲル …
経験をした、記憶としての私は、そのときのままとしては無い。 今、思い出す私の中にある。 また、今の結果としての将来の私はあるが、 それもまた今思っているものだ。 これは当たり前であるが、そのことはそうだ、と思っていないと、ぼやける。 過去の自分…
を読んでいる。 池田晶子著、94年に雑誌”正論”へ記載された文章を嚆矢とする。 本は読む時期、読む”自分”によって”読め方”が違うという。一読驚異、”ああ、池田さんはあのことをこうおっしゃっていたのか!!” 完全にわかってらっしゃる。そしてそのことを…
2001年哲学の旅―コンプリート・ガイドブック作者: 池田晶子,永沢まこと出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2001/03/01メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 5回この商品を含むブログ (17件) を見る “それ”は在る作者: ヘルメス・J・シャンブ出版社/メーカー: …
池田さんの文章で折に触れ、最近よく思い出すものがある。 ”差別はいけないドクサ”に真正面から切り込まれたもの。 曰く”差別はいけないが、上品(じょうぼん)、下品(げぼん)の魂の区別はある。多いに区別すべし”。 区別、いいのか!!! ”天才はすごい”…
池田晶子さんの本を読んで、 悩むな! 考えろ! と喝を頂き、 では、悩むとはなにか、考えるとはなにか、と考え、 確かに、悩むと考えるは違うなあ、とまずは思ったのである。 考えるは、深みがある。水平にも垂直にも突き抜けることができる。 悩む、には、…
少し版画をかじっている。 師事する先生がお好きなテーマは”エロスとタナトス”。 西洋での画題で、しゃれこうべと美女、が描かれているのもその一例である。 ”メメントモリ”=死を想え という画題とも連なる。 絵に対するいろいろなアプローチがあると思うが…
肉体が、乗り物である、という言い方がある。 用語は別にして、ウィルバーのいう”目撃者”(全から分離した全の一部で死すときに全に還るもの)が、意識や(か)魂や(か)、あるいはエゴかを通してこの肉体を動かしている、とするのなら、 全てに偏在する全…
閑さや 岩に染み入る 蝉の声 芭蕉が立石寺で詠んだ句である。 閑さを、”しずかさ”と読むか、”しずけさ”と読むかということがあるようだが ここは私の趣味で”しずけさ”とする。まあ、しずかさと読んでもいいだろう。 我が家の前は神社である。中古住宅を10年…