夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

あの世はあるのか、そしてそこで求められることとは。

新潮選書 中島岳志氏の「親鸞と日本主義」を図書館で借りてきた。

私は親鸞に詳しくない。だがいわゆる仏教とは「葬式仏教」としての仕組みである、と思ってきた子供時代から、「始祖」や「教祖」は別に葬式をしたいわけではなく、「教団」の中に生業を見つけ金を稼がねばならなかった後継者が結果としてではあるが「葬式仏教」にいるのであり、教祖のピュアな考えは接して考えるに値する。

そんな風にいまは感じている。

そういう意味では仏教に興味が沸いているのだ。

中島が本書で引く、吉本隆明の「最後の親鸞」の一部を孫引きする。

念仏をとなえれば、浄土へゆけるという考え方は、親鸞にとって最終的には否定さるべきものであった。なぜならそこには、個々人の「御計(おんはからい)」の微かな匂いがたちこめているからである。念仏をとなえるという行為のなかに、微かな自力の目的意識が働いているからこそ、称名念仏と浄土とが単純に因果の糸で結びつけられてしまう。⁅吉本2002:40]

念仏をとなえるだけ、というが、では念仏を唱えないとどうなるのか。何かを得る(この時は極楽往生する)ために、選択してとなえる、いわば目的のための「切符」として念仏をとなえること。

これを親鸞は否定した、と吉本はいうのだ。

つまりは条件として「念仏」をいうことは、条件として「壺を買い、他人にも売りつける」という行為と本質は同じである。ただ「念仏」が「現世的」にはアクセスしやすい(まあ単純ではありませんが)雰囲気がある。つまりは口を動かすのみで(表面的には)あるのであるから。壺は現世での「金」が必要である。だがゴーダマはどうしたか。王族の身分を捨てたではないか。

何かを得るための「対価」を求めることはしない。この世のすべては「あの世」で決まっており、なにをどうしようがそれがそれであるのだ。

そういう「絶対自由」が親鸞にある、というのだ。それが私の理解であった。

これは確かにそうだろうと思う。何かを得るために条件があるのなら、その条件を満たせない、あるいは満たそうとしないものはどうなるか。草木は国土は悉皆成仏するというではないか。条件が、必要ですか?

まあ、そんな感じである。

私は「自由」に取り込まれているのだろうか。

自ら「自由教」にがんじがらめにされているのだろうか。

そうかもしれない。

(がんじがらめになるのも自由、ということでしょうか。。)

生きる上での「自由」の重要性とすばらしさとその得難さについて。

昨日の歩数は2000歩強であった。実は家の塗装中で、家をぐるりと飛散防止のカバーで囲って作業をしてもらっていると、なんとなく監視下で生活しているような感覚があり落ち着かない。

死、というものを契機としていわゆる「現世」と「あの世」があるのかどうか、ということを問い、としてぼんやりと持っている。

いわゆる子供時代からある時期までは、「考えてもいいこと」「考えてはいけないこと」というものがなんとなく頭のなかでレッテル付けされていた。森博嗣さんは、「自由である」ことの優先順位を高く持っていらっしゃると思う。気が付くと自然「不自由」を愛する、つまりは「自由からの逃走」、自由であるために払う精神的な負荷を嫌っての多分「エゴ」による思い、それを指さして示していただいている感がある。

池田晶子さんももし子供を持っていたなら、不自由な思いを持たせる事象に意識的となり、絶対自由でありなさい、と教えたことだろう、とおっしゃっていた。読者である私が私たちが、母としての池田さんに教えていただいているのだ、とその時思ったことを想いだす。

両者の教えには共通点がある。

自由であるには、意識的であるべきだ。そうしないとエゴというか、人間の自然なありようでは、不自由である気楽さを選択しがちである、というような。

例えば森さんは、住む場所についてもおっしゃる。人がどこに住むかはヘアスタイルのようなもの、どうすべき、どこに住むべき、はない。たまたま住んでいる、そのことに「意識的」であることで自由でいられる。

私の「不自由の呪い」は「生きるために金を稼げ」であるだろう。これは本能であるだろうか。自身のおかれた状態を自分なりに把握し、この与えられた肉体の条件をも把握したうえで、どのように生きるのが「金を稼ぐ」、すなわち「生きる手段を得る」ことになるのか。

それを意識というより無意識で選択し続けて来た気がする。

むろんこの「与えられた条件」例えば「気質」ができるだけ「楽」になるように。なので「自由」のもと、私はほとんど掃除ができない。

綺麗な空間は大好きだ。だがそれを創出するための手間と時間があるのであれば、それは別のことに使いたい。つまりは何かを創出するための「仕込みと作業のため」に使う、というような。

ジャンルの自由、これも森さんから教わった気がする。自分は漫画家だ、だからマンガは書くがいわゆる「絵」はかかない。

これは「人は住む場所が決まっている」というなんとなくエゴが人に与えがちな条件つけと似ている。そうではないのだ。どのような形態であれ、自らの中から出てくるものを、その時の「気分」で「自由」に表現していいのである。

冒頭でのべた「あの世があるのか」という問い。哲学の問いとは自身の「生涯」の中では多分一生答えを得ることがないであろう、という根源的な問いの下に線を引くことだ、と内田樹さんはおっしゃった。

あの世があるかどうかは、あの世が死したのちに行くかもしれない世界のことだとすると、死するまえにはわからないことのことである。なので「今生」ではわからないことになる。だが、分からないからと言って考えていけない、ということはない。これが自由だ。

昔は死後のことを考えるのは「宗教」の仕事であり、この世で求められている「考えるべき疑問」には昔は入っていたが今は入っていない。そのように感じていた。

これは多分ここ日本で強い磁力を発する考え方であり、いわゆるキリスト教国やイスラム教国なっどではそうではないかもしれない(たんなる推測)。

宗教を人は考えるべきだ、という空気が、多分日本よりカジュアルにあるだろうと思う。

「宗教」とは恐ろしい、ツボを購入させられ、それを欲しくもない他人に売りつけることを強制され、売らないと地獄に落ちると脅される。なによりその宗派に添わない考え方をすることは許されない。宗教裁判の歴史を見るにつけ、そこに取り込まれたものは状況に応じて互いに殺しあう、あるいは殺す。異端裁判や魔女狩りを見よ。

まあそう思ってきた。

だが、そうであるから「死後のことを考えない」のか?「そんなこと考えると怖いからやめときなさい」。

そう、精神が未熟であれば、その未熟さにつけこむ仕組みを持った「邪悪さ」にやられてしまう可能性は確かにあるだろう。あるいは「不幸」による「心の弱まり」へのつけこみ、か。

だがそのことに意識的であることで、「自由」にそうしたことを考えることができる。「取り込まれる仕組み」に自覚的であればいいのだ。

これが「自由であること」のすばらしさだ。精神の中で「私」がただ広い草原に立ち、明るく気持ちの良い風を感じて、「さあ、どこでもすきなところにいっていいよ」と言われている。その感触が「わが自由」である。

そのときそういう声をかけるのは、「真の自分」なのか、仮に輪廻的全や一の仕組みがあるのだとしたら、過去生として「全」の中の一部としていまは在る「過去の自分」の「全」としての呟きと導きなのか。

そこのところはわからないが。

(疑問をとけないものとして把握するだけでもすこし自由が広がりますね)

 

 

 

アラン島と生まれる前の罪について。

荒涼たる、ということばが冠せらるる場所として私のなかでイメージがわくのは、例えばこのアラン島である。

といっても行ったこともなければその風土を良く知っているわけでもない。

土地がやせ切っており、石を砕いて土とする、というイメージがなぜか私の中である。その厳しい自然がモルトウイスキーを生んだ、という漠然としたイメージもある。だがそこが本当にそうであるのかさえ、ぼんやりとしている。

シングという作家がアラン島に滞在して本を書いている。図書館に予約をした。80年以上前のドキュメンタリータッチの映画もあるようだ。片山廣子のエッセイ「燈火節」をパカリと広げて読んだ箇所から、彼女がそのドキュメンタリー映画アイルランドという幻想の地を見たというような感触を得た。

過去映画とはほぼ一期一会のものとしてあった。ビデオが家庭にない時代、ほぼ映像とはそういうものであった。だから昔見た過去の感動を想起できる場所としても「名画座」は人々にとって単なる映画再演の場ではなく、ある意味過去の感情を再び取り出す、あるいは出会いにゆく、メモリーエリアでもあったのだろう。

今映像の位置は変わった。かの「アラン」でさえ、DVDで購入することができるかもしれない。

それがよいことなのかはわからない。メモリーが手の届かない場所にあると、届かない、という思いがスパイスのようにそのメモリーに芳醇な味を自身の脳裏のなかで加えるかもしれない。だがそれは既に過去の一つの過ぎ去った状況である。常に「時間はない」といっている私にとって言えば、「現在の中にある「過去としての記憶」」というべきかもしれないが。

だが、そのように過去映像にアクセスができない時代、あとから来た人は、アクセスが出来ないというこのどうしようもない壁、そのこと自体がある意味豊穣な自らの想いを作り上げる契機となることもあっただろう。「未見である」。そのことが、まだ見ぬ「未来のメモリー」を勝手に脳内で形作るられる。幻想の中での聖地となる。例えばわが「アラン島」のように。

ユダヤでは「自らが生まれる前に犯した罪」を「原罪」として悔やむという仕組みがあるようだ。これはホロコーストユダヤ民族がなぜにこうした苛酷というにはあまりにも苛酷な仕打ちを歴史からうけるのだ、という気持ちをユダヤ人たちが戦後に持ったとき、ユダヤ教のある聖職者から示された考え方であったという。

たしかに自身の生まれたあとの罪によってこのようなことを受ける納得できる理由などあるわけがないだろう。無理やり納得させる、というのとは少し違う次元でそういう形で思うことでしか、耐えられないだろう。

そういう考えの構えのことを知ったとき、宗教や神、という考え方の意味や位置、というものをすこし考えさせられた気がした。宗教は言い訳のようであって、実際一部そうではあるが、それだけではない感触を受けるものであるからだ。

(方便、というと浅いですが、自らを言い訳ではあるがそれだけではないような思いで包む、慰撫する、というような構えのことでしょうか。人は弱くてもろいものですが、自らそのもろさに気づき、対応を考えることもできる。そのことが実は「人間」というものが与えられた役割、誰に与えられたわけでもないがしかし担っている役割、のようなものかもしれない、などと堂々巡りのように考えます)

片山廣子と鈴木大拙夫人のベアトリスと、菜食や神智学ロッジなんかについてつらつら想う。

今日の体重も63.2kg。昨日と確か同じであるが、体脂肪は12.1%。2%ほど上がったことになる。この体重であればやはり10%で行きたいところだ。

片山廣子という人になぜ惹かれるのかということだが、まず私はこの人を翻訳で知ったのだ。とにかくその翻訳が素晴らしい。月並みな表現ではあるが、それは勿論原作の力に加え、翻訳者がその世界に感じる憧憬がにじみでている訳文のせいだったかもしれない。翻訳時に廣子は知っていたと思うが、作者のフィオナ・マクラウドウィリアム・シャープが虚構の女性作家としてこの作品を発表している。そうしたところも亦、なんとも言えない魅力を発しているように思うのだ。

私は幼少期よりファンタジーが好きである。なぜだかはよくわからないのだが、敢えて言葉にするのであれば、この世界のドロドロがない清浄な世界、という感覚のせいかもしれない。なので、ハイファンタジーや剣と魔法と呼ばれた物語でも、この世のすったもんだがあまりないものがいいのだ。

恋愛ものは実はあまり得意ではない。上手くいく男性に自身を投影することは困難で、だいたいが残念な男性に自然に投影してしまう。女性の気持ちにもやはりうまく投影できない。読んでみると結構楽しいこともあるが、基本恋愛ものはあまり積極的にアクセスしない。

動物ものは好きである。人間ではない、という時点で無理に自身を投影しなくてよい、という点がいいのかもしれない。指輪物語では主人公はホビット族。まあ人間とかわらないのだが、違う種族というのはすこし気楽かもしれない。

結局この世でうまくやれない、あるいはうまくやろうとすると神経をすり減らす、という実感があるのだろう。この場でも会社生活は酒で乗り切る、というわけのわからないことを言いいいしているわけだが、そもそも好きで飲んではいない。まあ、飲んでいるうちに気分がよくなるのだが。

素面ではうまくいかないのだろう。韓国や日本では年齢が順列を生むというが、これをうまく利用すればいい時もある(悪い時もあるが)。

片山廣子の生きた時代、女性の地位はなんとも低い。学校を卒業すると女性の仕事は教師くらいしかない、ということだったが、やはり人に教える、ということはその人の資質が大きくかかわる。私もあまり教えたいという気はなかった。祖父2人とも教師であったのだが。

そんな中で自身の気持ちを表現するには、短歌がそのころブームであった。廣子は与謝野晶子と同年生まれであり佐佐木信綱の竹柏会に入門している。同門の同じ学校の後輩に、妾腹ながら大正天皇のいとこにあたる血筋である柳原白蓮として知られる柳原燁子(あきこ)などもいた。白蓮の母は妾という身分であったが、没落士族の娘ということである。

廣子の「燈火節」のなかで、鈴木大拙夫人のベアトリスとの思いでを書いた一文がある。廣子とベアトリスは同年の1878年生まれであり、廣子の父がニューヨーク総領事であった関係で鈴木大拙との縁があったという。ベアトリスと大拙は1911年に結婚しているので、その後すぐ知り合ったとすると、両人とも33歳ころであろうか。廣子の長男は達吉は1900年生まれなので、11歳ころであろう。

面白いのは、大拙によるとベアトリスは絶対菜食主義だったというが、片山の文章ではベアトリスはビフテキパイが大好きで、「奥さんたちをランチに呼ぶときはいつもビフテキパイを主食に」とある。日本にきてすぐのころはまだ菜食主義一辺倒ではなかったのであろう。後年ベアトリスは京都の自宅に神智学協会のロッジを設けた(1924年)というが、京都という土地柄か、またベアトリス自身も1921年(43歳ころ?)より大谷大学で教えたりもしているからか、夫との関係もありアカデミックな集いとなったという。

初期のころは同世代の婦人たちとの交流が主だったのであろう。だが廣子自身も日本で初めてのプロテスタント系女学校である1884年設立の東洋英和女学院に寄宿し、西洋人教師と密接に接してきたということもあり、勿論英語には堪能であったろうし、そこからベアトリスによりフィオナ・マクラウドアイルランドファンタジーを翻訳する導きを得たのであろうと思う。

(なんとなくそのころの心の交流に思いを馳せております(笑))

在宅と仕事の環境について。

昨日夜の体重63.2kg、体脂肪率10.2%であった。体重が減り気味であるが、体脂肪率はそうでもない。

東京での生活のために電子レンジのなかでゴハンが炊けるという器具を買った。実は最近あまり米を食べていない。米は大好きなのだが、食べると覿面に体重に影響するようになった。ラーメンなども厳しい。

すぐ落ちてくれればいいのだが、落さねばと思う気持ちがストレスで、であればそもそもあまり食べなければいいのでは、と思うようになった。昼食を抜いて昼は水1リットルとフリスクを食べて運動をする、というパターンを数か月続けると、体重はあまり落ちないものの昼に空腹になりにくくなった。もともと夕食を12時頃食べる生活が長かったので、夕食時も空腹になりにくかった。今はすこし夕方ふらふらするような気がすることがあるが、そういう時はすこしなにか食べるようにしている。

人間、こうでなければ、というものはなく、実は習慣の影響がほとんどなのだろう。海外で時差があれば、夜中に夕食をたらふく食べるわけであるし。

一方でとにかく朝はしっかり食べるようにしている。納豆、卵、味噌汁(大根、キャベツ、カボチャ、ワカメ入り)、すりごまの白黒、オリーブオイル、キウイ、オレンジ、イチゴ、ブルーベリー、ヨーグルト、コーヒー、牛乳、プロテイン、というのが定番だ。ここに前はハチミツを入れていたが、糖質を押さえるためいまは中断している。また次回の健康診断をもって判断したい。

仕事の環境について。

デューク東郷ことゴルゴ13は後ろに人が立った途端に攻撃するように自らを習慣づけており、それがお笑いの次元に行っているわけであるが、なんとなく意味がわかる。

仕事中でもPCの後ろに人が立つのがストレスになるようになった。前はそうでもなかったが、後ろに人が立ちにくい環境になれると、たまにそういうことがあると結構しんどいようだ。

須賀敦子さんもどこかのエッセイで書いていた。海外で働いているとき、部屋には一人であったが、戸をしめないと落ち着かなかったという。一緒に働く海外の人(どこの国かは失念)は、なぜ閉めるのか、と理解してくれなかったという。

勿論戸が開いているとアクセスしやすい。一方で戸が閉まっていると勿論集中できる。閉まっている環境になれてしまうと、開いていると「いつか誰か入ってくるのでは」という感覚で脳の一部のメモリーがずっと働いてしまう。

慣れの問題でもあるだろう。毎日昼食を食べていると、昼食を食べないとその日はBAD DAYという暗澹たる気持ちになるだろう。別に食べなくてもいい、と体をしつけると、無理に食べずともいいし、食べられるなら食べようか、という融通も利くのだ。

人は楽で快適になれると、ちょっと落ちると気分が悪くなる。美味しい物ばかりたべるより、空腹でいるほうが何でもおいしい、というやつだ。

まあ、人に強制するものではない。勝手に、自分で、採用すべき、いわば「生活の自己ルール」といった類のものだろう。

(食べてみると自分が空腹であることに気づきます。そして目の前にたくさんあるといくらでも食べてしまいますね(笑))

プラトン立体について。澁澤龍彦と澁澤龍子と沢渡朔とマンディアルグ。

プラトンの哲学が大変現実的というより、ギリシャ哲学自体が含む現在で感じるところの神学的(神秘学的)要素がこの日本で紹介されるときは「誤解を生む」ためかほとんど紹介されていない、という印象がある。

本来の哲学とは、答えられない問いの下に線を引いて世間に提示すること、と内田樹先生もおっしゃっているが、そうであれば「神」や「全」や「一」はそもそもいの一番の問いとなろう。

プラトンの晩年の著作である「ティマイオス」は神秘的記述が多く、対話篇が多い著作群では異色といわれるとのことだが、晩年の作であればいわゆるそのころもあったであろう「お題目より世間のことを書け」というような世間のプレッシャーは多分無意識に大哲学者であるプラトンにもあって、それが徐々に外れてきたのでは、と個人的には邪推するところである。

澁澤龍彦亡き後の澁澤邸を、私の愛するアリスの写真集を作った写真家である沢渡朔(さく、でなくはじめ、と読むんですね)氏が撮影し、未亡人の龍子氏が龍彦の文章を選んだ「ドラコニア・ワールド」を読んでいる。

プラトン立体とは、別の言い方をすれば正多面体のことである。すなわちどの面も合同な正多角形で、どの頂点にも同じ数だけの面がついている凸多面体のことだ。私たちの生きている三次元の空間には、無限に多くの正多面体は存在せず、その可能性はわずか五種類に限られる。正四面体(ピラミッド形)、正六面体(立方体)、正八面体、正十二面体、正二十面体の5種類で、どれにも外接球および内接球が存在する。
 私がプラトン立体に特別の興味をもつようになったのは、じつを言えば数年前、現代フランスの作家アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの『大理石』なる小説を翻訳してからのことだった。この奇妙な小説のなかに、主人公がイタリアの或る湖中に浮かぶ無人の島で、糸杉に囲まれた空き地にそそり立つ、五個の美しいプラトン立体のモニュメントを発見するというエピソードが語られていたのである。その五つのプラトン立体は、月光を浴びると黄金色に染め出され、しかもガラスの塊りのように透明になるのだった。
澁澤龍子編 「澁澤龍彦 ドラコニック・ワールド」P.74-75
2010.3 集英社

いささか長い引用となったが、澁澤が書くように、アカデメイアの学長であるプラトンが与えたプラトン立体への神秘性が、これほどあからさまに表された文章は稀有であろう。

プラトンマンディアルグ澁澤龍彦、澁澤龍子、沢渡朔。こういった「精神のバトン」を経てプラトン立体の概念が、不肖私にもまた、届けられたのである。

(ありがたやー!)

諸準備。

昨日の体重63.7kg、体脂肪率8.7%。昨日の歩数7806歩。

10月からの東京赴任の準備で、昨日はニトリと100円ショップでいろいろと購入。ニトリでは布団セット、約10000円。屋内洗濯干しや、電熱ケトル、ライト、鍋セットを購入。ダーソーで100円包丁、トイレ掃除関係、まな板などを購入。カーテンはアマゾンでレースカーテン含みで2200円程度のものを注文した。

結構この3社でいろいろなものがそろう。洗濯機、冷蔵庫、レンジはレンタルしようかと思っている。

家もほぼ決めた。東京での一人住まいは3回目だが、2回は家具付きであったし、会社指定であったので自由度はなかった。今回は好きに選ぶようにとのことで、会社へ歩いていけるところにした。何件か見たのだが、事前にここにしようと思っていたところは、内覧中横の壁からどんどん叩かれたので、ここはないな、ということになった。

結局3階、前の道路がまあまあ広い、最悪2階の軒に飛び降りて1階に降りられそうな、ということで選んだ。近くに小さなスーパーがあった。キャベツやダイコンの値段はここ名古屋の調度2倍であったが、キウイは同価格であった。だいたい食品がそろいそうなところが良かった。

今朝は寝覚めがよくなかった。そう書くとなんだか悪夢を見たような感じになるが特にそういうことはない。毎日4時に目覚ましをかけるのだが、目覚ましが鳴ってからなんと2時間半も寝てしまった。6時半。家を出るのは7時なので、これほど2度寝が長かったことはあまりない。中途半端に寝たからか、すこしふらふらした。いまはまあ、だいたいいい感じではあるが。

やはりイレギュラーな日日は体調管理が重要だ。毎日決まった時間に決まったことをやっていれば、そしてそこにトレーニングと歩きをちりばめておけば、だんだん体調は定まってくる。

カントは毎日同じ時間に同じことをするので、近所の人は彼がくると時間がわかると評したというが、実はそれが定量的な思索やアウトプットには一番いいような気がしている。

(カントだったかなあ?デカルトだったかなあ??うろ覚えです(笑))