夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

ディストピア、ユートピア。

 

私とは何か さて死んだのは誰なのか

私とは何か さて死んだのは誰なのか

 

 

次官が事実上更迭された。

 

日々このブログに良いと悪いはない、時間も空間もない、

と世迷い事を書き散らしている身で、この世のしんどいことを

こうして書くのもどんなものか、ということも思うのですが、

 

私淑する池田晶子さんも週刊誌に時事放談(笑)を掲載されていたひそみにならう、

ことにします。

 

ブログを離れれば会社員男性、名前は某、所属はどこ、

そして家族や子供がいる、という属性(それに一体化しすぎるのこそ苦であり、

マインドの美味餌、であるのですが)からすると

以下の感想となる。

 

鈴木次官、大変でしたね。ご苦労さまでした。

 

役所、である。退官、がある(次官の次の官職はない)、自分と家族の

生、がある。

 

次官の次は天下る。いまはあからさまにはできないが。

 

であれば、8年先輩の元官僚が事実上の社長を務める天下り先のその

先輩が、

 

教えてください。

 

といったらどうか。人は知らないが(自分は全といってますが汗)、この

ワタクシ某なら、

 

辛い。

 

どうやってことわればいいのか。

 

とても辛い。

 

 

だからこういう事態になったが次官は、

 

どこかでほっとされているのではないか。

 

周りも気を遣っている。

 

 

”まだ確定した事実でないが故に、訴追案件にしない。”

 

まわりはだれもが分かっている。

 

あの人は辛い、と。

自分でなくて、ある意味よかったなあ。。。

 

 

大臣、というのは短期の上司、基本素人。

だから別の損得体系に在る。

 

だからであろうが、大臣の方、いいことを言った。

 

OBが取締役にいると断れない(まあそういう意味と取りました)。

 

その通りだと思う。

 

OBのいない先へ意見する立場としての官僚。

その勤務はまさにユートピア

 

だがしかし、

 

であれば自らの退官後どうすればよいのだろう。

 

一寸先は闇。まさにディストピア

 

 

だからどうしても思ってしまう。

 

自分の時にちょうど良くあってほしい。

 

 

そう思うことの闇。まさにマインドの好餌。

 

 

一番の根っこはなんだろう。

 

 

自らの餌をえさ場を、生を守りたい。

 

これだろう。

 

 

餌を守る、とは、他者に取られないこと。

 

 

これはたぶん動物としてのスティグマであろう。

 

逃げられない。簡単には。

 

 

逃げる手は、たぶんあるのだが。

 

 

そもそも郵便事業。保険専門ではない。素人だ。

 

であれば保険は普通では売れない。

 

誤魔化し、嘘、郵便貯金からの引っ張り込み。

 

これしか手がない。

 

 

売って来てなんぼといわれれば。

 

 

ここでも来る。”ああ辛い”。なんでセールスなんてあるのか。

なぜ人ははたらくのか。

 

とそうなってくる。

 

 

そんなことはみんなわかっている。

 

ばれて”世間様に”怒られる。組織があぶない。

 

 

次官に聞いた先輩の気持ちもまた、

 

 

”ああ辛い”。

 

なにしろ実質的な社長である。必死となるのはあたりまえだ。

 

 

だがその結果をみた、”関係のない人”の感想。

 

 

まあ、”けしからん”でしょうか。

 

 

遠因は、やはり、郵便の衰退、郵便貯金では金が生まれない、

 

あたりでしょうか。

 

 

 

このようなことを見るにつけ、

 

人はどう気持ちを持っていくのがいいのだろう、と思う。

 

いまのわたくし某の考え。

 

”他責は一瞬楽だがすぐしんどくなる。

自責で一回耐えてもどってくるのが一番楽。”

 

これだ。

 

一番、楽

 

がPOINT.

 

 

他責、で考えると、セットでもれなく”不安”がやってくる。

 

人の所為にしたが、ずっと逃げ切れるか、というような”不安”。

 

 

これはたぶん避けたほうがいい。

 

その点、自責は”楽である”。なにしろ引き受けている。これ以上、引きとらなくていい。

 

セットでもれなく”安心”がついてくる。

 

 

だが、たぶんもっと先がある。

 

 

他人も自分もない、である。

 

 

そう、いつもワタクシ某が言っている世迷い事、

 

すべては全

 

である。

 

 

そして、この世は自らがあるが故に在る。

 

である。

 

 

すべての起きることは決まっている。

 

 

である。

 

いやいや、自分の意思で次官は先輩に漏らしたんでしょ。

 

 

そうきますよね、普通。

 

そうなのです。その通り。

 

だがその”自分”て何?

 

“意思”はどこから来たの?

 

“脳味噌????”

 

 

 

脳味噌が単なる”受信器”だとしたら。

 

 

 

人はすべて他責で回る。

 

子供なら、学校のせい、先生の所為、スクールカーストの所為。

大人なら政治の所為、政治家・官僚・経済の所為。

日本人なら、アメリカの所為。

アメリカなら、民衆の所為、神の所為。

神、宇宙、空間、時間なら、うーん、この”生”の所為であろうか。

 

池田さんはおっしゃった。

 

もし子供がいたらこうつたえる。

 

全ての真理を知り、絶対自由でありなさい。

 

 

さすがは池田さん。

 

かつて手紙に書かれて池田さんは嬉しくおっしゃった。

 

池田晶子先生は私の故郷です、といわれました、と。

 

 

そして池田晶子先生も故郷に還りたい、と。

 

池田晶子先生は故郷であり、かつ故郷に還りたい人でもある。魂でもある。

 

 

肉体とマインドとの一体化をけっしてなさらず、真理を”哲学”を

巫女として伝える役を

 

自身自覚して行われた方であった。

 

 

死とは何か さて死んだのは誰なのか

死とは何か さて死んだのは誰なのか

 

 

 

魂とは何か さて死んだのは誰なのか

魂とは何か さて死んだのは誰なのか