善い。良い。悪い。
良い、ということばを口にすると、
心の奥底で不安が兆す。
あ、この状態がなくなると、この私・気持ち・意識はいやだと思うだろう。
なくなることへの不安。
これは嫌な形をとった、”甘美なる意識の餌”。
意識はそのゆらめきを食べて存続する。
悪い、ということばを想う。
だれかの所為である、という漠然とした想いが
これまた心のそこで生まれる。
他罰感。=人の所為にする。”私は違う”。
これまた甘美なる堕落。堕落?なにからの??
この気持ちもまた意識=仮の”私”の構成物。
食餌、といってもいいかもしれない。
こうしたことで”生まれて”から構成される”私”。
”生きている”という状態とセットである。
これは、絶好のタッグだ。”必須”とほぼ近いかもしれない。
だが
だが、
それにとらわれ続けることは、
楽しくない。本質的に。
ではどうするか。
つまり。善悪はない、と思うこと。
思う?ちょっとリスク。
感じる?に近いか。
善であると思うこころあり。
悪であると思うこころあり。
心自体の善悪はない。
ただそうある。
それを
ただ
見つめる。
存在しない眉間の
存在しない第3の
目で。