夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

善い、とはなにか。

善い。良い。悪い。

 

良い、ということばを口にすると、

心の奥底で不安が兆す。

 

あ、この状態がなくなると、この私・気持ち・意識はいやだと思うだろう。

なくなることへの不安。

 

これは嫌な形をとった、”甘美なる意識の餌”。

 

意識はそのゆらめきを食べて存続する。

 

悪い、ということばを想う。

 

だれかの所為である、という漠然とした想いが

これまた心のそこで生まれる。

 

他罰感。=人の所為にする。”私は違う”。

 

これまた甘美なる堕落。堕落?なにからの??

 

この気持ちもまた意識=仮の”私”の構成物。

 

食餌、といってもいいかもしれない。

 

 

こうしたことで”生まれて”から構成される”私”。

 

”生きている”という状態とセットである。

 

 

これは、絶好のタッグだ。”必須”とほぼ近いかもしれない。

 

だが

 

だが、

 

 

それにとらわれ続けることは、

 

 

楽しくない。本質的に。

 

 

ではどうするか。

 

つまり。善悪はない、と思うこと。

 

思う?ちょっとリスク。

 

感じる?に近いか。

 

 

善であると思うこころあり。

悪であると思うこころあり。

 

心自体の善悪はない。

 

ただそうある。

 

 

それを

 

ただ

 

見つめる。

 

 

存在しない眉間の

 

存在しない第3の

 

 

目で。