- 作者: 池田晶子,永沢まこと
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ヘルメス・J・シャンブ著 ”それ”は在る
P.92
もし思考そのものがあなたなら、
思考がない時、あなたも存在しないことになる。
そうではないかね?
しかし、思考がなくてもあなたは存在している。
あなたは思考そのものではない。
全ての人は基本的に思考と同一化している。
そしてそのことを疑うことはない。
こうして聞かれることがなければ。
こう考える自分はどのような傾向の人間か、
という方向で”自己分析”し、それを良くしてゆく、磨き上げるのが
やるべきこと、”魂の世話をする”ことだと思っていた。
どうやら違うようだ。
思考は、あたかも自分が選んでくるような気がするが、
自動的にどこかから飛来する。
シャンブ氏は言う。
”完全なる注意深さをもって目撃してみなさい。”
”本当に、今、これを考えたかったから、自分は考えたのか、と。
この思考が浮かんだから、これを考えたのではないか、と。”
空に雲がある。
空が、この雲が欲しいから、この雲を呼んだ、のではない。
ただ、流れてくる。様々な気象条件で。
空は、空のまま。
思考は、雲と同じ。
ただ、流れてくる。思考ではない、”私=目撃者”の前に。上に、目前に。
であれば、思考は、目撃者とは、別に決まっている。
しかし、そう、言われないと、わからないことだ。
”わかる”=そうであったのか!
隠されていた(何から?)事実が生与のこととして想起される。
あああ、思考とは”これ”とは別のものだ。
そう、”これ”と身体が、別である通り。
これ、思考、身体。
それらが、一体となって、”今”に在る。
そういうことか。
そういえば、同じことを、”2001年哲学の旅”で
池田晶子さんがおっしゃっていた。
思考と、身体は別である。
それが分かっているひとには、なかなか会えない。
そんな人を探すのが、池田さんのあの”旅”の目的の一つだったのだろう。