沢木耕太郎の”銀河を渡る”を、読んでいる。
副題は、”全エッセイ”、あとがきによると25年分のほぼ純粋にエッセイと呼べるものを掲載したものであるという。
同じくあとがきによると、”かつて、山口瞳は、私のエッセイについて「エッセイを小説のように書く」と評したことがあった。そして、自分自身については「小説を随筆のように書く」のだとも。 その「エッセイ」を「ノンフィクション」に置き換えると、私は「ノンフィクションをフィクションのように書いている」ということになるのかもしれない。”(P.459)”ノンフィクションとフィクションのあいだには越えがたい、あるいは超えてはならない一線がある”(同)と書く。
個人的には、いわゆる子供時分には、ほぼフィクションばかりを好んで読んだ。それも主には幻想小説といわれるものを、探しては読んでいた。
当時は今ほどファンタジーが盛んとは言えず、”ファンタジー”臭いものを探して読む、という愉しみもあった。どちらかというと、日本ものよりは、英米系のものが好きであったように思う。その中でもハイファンタジーが特に好きであったが、いわゆる行って帰って来る(ナルニア系)のものでもよかった。私の子供時代の置かれた気持ちが、そうしたものを好んでいた理由でもあったのかもしれない。
いま、ここではないどこかへ。
私は本の世界へと、現実から、逃避していたのである。
運動ができない子供だった私は、自らの価値が”野球力”(当時はサッカーより野球だった)に在るコドモ世界では、自分が主役ではないことに気づいていたし、傷ついてもいた。別に好きで運動ができないわけではない。ただ、できない存在としてこの世でやってゆく必要があるようだ。仕方がないかもしれない、だが読み物の中でだけは。。
いつからか、気が付くとノンフィクションを好んで読んでいる自分がいた。大人になって、運動だけが評価基準ではない世界に来たからかもしれない。あるいは生来の天邪鬼気質で、幻想譚が主流になったような最近の読書環境に若干食傷気味、というところもあるだろうか。
沢木耕太郎という人は、”男の王道”を行く人、というイメージがある。
本作の中でも、高校時代は人に頼まれ、さまざまなまとめ役をやったという。
さっぱりとして、人望があり、自分の世界をしっかりと持っている。
こうしたひとに対しては、私は心の底ではジェラシーをもっているようだ。自然体でそうあるひと。なにをやってもかなわない。そもそも人との比較など、全く考えもしない人であろう。
運動もできるだろう。背も高いようだ。
こうしたうじうじした気持ちを持つこと自体、というか、持たせる存在である人である、ということが、即私を複雑な気持ちにさせる。
沢木さんは物欲がほとんどないという。鏡をみることもほぼ無いそうだ。
そんな私とはほぼ正反対の沢木さんのエッセイであるが、だが面白い。読むことが、沢木さんとの会話であるようだ。正反対な人、だからよけいなのか。
そんなことも思いながら読み進めている。
あわただしい時期、沢木を読んでいると、ふと時間が静止したような気がした。
沢木が切り取って、送ってくれた旅の風景。
それを味わって、一瞬が永遠となり、
そしてすぐに動きだす。
71ページに三島由紀夫がエッセイの末尾にしたためた一文がある。
三島の日本への祈り、「世界の静かな中心であれ」。
この一文にであっただけで、今日はもうおつりがくるなあ。
長年利用してきた”はてなダイアリー”から、”はてなブログ”へ移行することになった。
銅版画をやるようになって、絵を描いているとどうも文章のほうはお留守になるようなのだが、移行記念に久しぶりに投稿してみた。
余り投稿できてはいなかったが、結構前からの自分の想いがなくなってしまうのは忍びないと感じていたので、無事移行できたのはありがたい。
そして久しぶりの文章が、25年分のエッセイを纏めたという沢木の本についてである、というのも、何かの縁、なのかもしれない。