- 作者: 岸見一郎,古賀史健
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2016/02/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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を読んだ。
気になった部分を抜き書きしてみる。
”「教師は子供たちの心を形づくり、人類の未来は教師の手に委ねられている」。” P.292
池田さんは、ふがいない教育現場に業を煮やし、好きでもなく興味もない政治の世界で、敢えて文部大臣(当時)になる、と檄を飛ばされた。
そんなことも思い出した。
”政治革命ではない、教育革命による人類の救済” P.291
教育は自己を教育するしかない、とどこかで読んだが、ここでアドラーがいう教育もまた、結局は”変えようという意思をもって自身を教育する”という意味であろう。
この本は、読んでいて気持ちがよかった。
たぶん多くの人がそう思うのだろう。
そして多くの人が読むことで、人々の関係が良くなる方向に行くように感じた。組織も、よくなるように、感じた。
本、というしくみが持つ力。それは、教育とも近いかもしれない。
"「アドラー心理学は、ギリシア哲学と同一線上にある思想なのです」" P.289
哲学、と心理学、の差異がよくわからない。ユングも日本と欧州での評価は違う、と聞く。
それがどのように呼ばれようと、僕個人には関係がない。その思想を読んで、どう感じるか。それだけだ。
そういう意味では、アドラーには惹かれるものがある。ユングにも、だ。そしてもちろん池田晶子さんにも。
"われわれは未来が見えないからこそ、運命の主人になれるのです。" P.280
ああ、この2日ほどの雨を経て、晴れてきた。
なんとなく、外にでるのがおっくうだったが、いま陽の光を浴びると、気持ちが浮き立ってくる。
この本を読んでも、自らの生をひきうけることが、結局人がこの生のなかですべきことであるように思った。
魂の世話。
これはとことん自分自身に向き合うことを指すことばだ。
"哲人 ある人から「人間が変わるのに、タイムリミットはあるか?」と質問を受けたアドラーは、「たしかにタイムリミットはある」と答えました。そしていたずらっぽく微笑んで、こう付け加えたのです。「寿命を迎える、その前日までだ」。"
P.278-279
"(前略)現実としてわれわれは、別れるために出会うのです。
(中略)すべての出会いとすべての対人関係において、ただひたすら「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾ける。それだけです。"
P.277
→死を想う。生きるとはそういうことかもしれない。死は別れなのか。そうでもあり、そうでもないかもしれない。そこでの思想の伴走者としての”宗教”の役割もあるだろう。
相手をそのままの姿で、なにも期待せずにただ愛する。それが”最良の別れ”につながってゆく。
人生すべてが一つの自己の作品である。
。。。そんなことを想った。
"彼は自らの心理学を「すべての人の心理学」と位置づけ、アカデミズムの世界から遠く離れた、人々のコモンセンスとして生き続けることを希望しました。"
P.276
"「世界はシンプルであり、人生もまた同じである。」(中略)
「シンプルであり続けることはむずかしい」(中略)
ほんとうに試されるのは、歩み続けることの勇気なのです。” P.274-275
生き方、という。生き方の基本原理のようなものを、僕は池田さんに頂いた気がしている。迷ったら、先を、はるけき先を走る池田さんのつぶやきを参照しよう、という風な。
だが、日々の暮らし、夜になれば心は雑音に溢れる。
朝はすこし落ち着くが。だが、シンプルに行くことは、むつかしい。軌道修正しつつ、戻しつつ、歩み続けるしかない。
”われわれは他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放されます。他者を愛することによってのみ、自立を成しえます。そして他者を愛することによってのみ、共同体感覚にたどりつくのです。” P.272
”たとえば、相手の好意をなんとなく察知した瞬間、その人のことが気になり、やがて好きになってゆく。こういうことはよくありますね?
青年 ええ、あります。ほとんどの恋愛はそうだといっても過言ではないほどです。” P.258
”愛とは信念の行為であり、わずかな信念しか持っていない人は、わずかにしか愛することができない」”P.271
恋愛の始まりに、自分が傷つきたくない、という心理が働いていることは、よくわかる。そこに担保がある。
それをわかったうえで愛、という行為を考えることは、新しい。
”哲人 ・・・・・・あなたの願いは「幸せになりたい」ではなく、もっと安直な「楽になりたい」だったのではありませんか?” P.270
愛、という名で、楽になりたい、という想いを隠すことは、確かにある。
愛には、責任がり、共同作業である、ということには、頷かされる。たしかに、そうだ。