夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

いじめ。

”いじめ”が話題だ。

まず自殺した当人へのいじめの具体的内容。これが第一ステップ。

次は、マスコミによる”どうしてそのいじめを止められなかったのか”、という教育委員会、そして、もちろん、いじめた当人への”社会的制裁”。

これにより個別案件の発生が減る方向で、対処療法は進むであろう。しかし違和感が残る。根本的に、学校がそのようなところであることは、”変わらない”し、”かわるような動きにならない”。

学校、教育、大きく生き方というもののゆがみが、ある。そこが直らないと、いつまでもそれは起こる。

大多数の日本人が感じていること、それは、”学校は結局、本質的なところではいじめを容認するところである”。

いじめの現場に立ち会っている自分。それを止めたい。しかし自らを測る。止めるとは、いじめの矛先をこちらに向けさせること。耐えられるのか。それを受け止め、跳ね返す力はあるか。自問自答。厳しいかもしれない。

学校という空間が、その仕組みで、いじめが発生しにくい所となる場合はある。だいたいは、学生の知的・生来の生活実感が恵まれており、いじめによるカタルシスを必要としない場合だろう。

そこには、上段のような葛藤があった場合、”応、自らにはその力と対応力あり”と判断し、行動に出ることができる人材が複数人いるだろう。

私見だが、地域性もあるだろう。関西圏では、”かっこつけ”が極端に嫌われる。かっこつけがかっこよくなりうる地域は、中部以東ではないかと思う。これは関西人の思いこみかもしれないが。

しかしそれは、恵まれた人材が、普通は学力による選抜を経て、経済力の条件をクリアーし、集まっている場合に限られる。そうではない空間で、いじめはいつの時代も起きる。

中学校は、特にきついだろう。内申書というものがある。将来への不安。進学関係でのぎくしゃく。

僕は、中学・高校一貫の私立学校へ行った。地元では、1.5流、1流といわれる学校に届かなかった学生の、行く場所だ、とみなされていたし、自分たちもそのように思っていた。入学早々、園長に言われたこと、それは”お前たちは頭が悪い。だから人より多く学ばないとよい学校へはいけない”だった。

ひどい言い草だと思った。しかし真実だとも思った。だからいまだその言葉を覚えている。校則違反、といわれるものは厳格で、カンニングをしたら停学、そして学校に来て皆の見ているまえで校庭で草むしりである。停学なのになぜ学校にくるのか。それが見せしめであることは身にしみてわかった。

この世のありかたはこのようである。シビアさを学ぶところが学校だ。そう思った。

自分の頭は1流にはなれない。そう思ったのは小学校4年生だった。鮮明に覚えている。ああ、このレベルには自分は到達できない。そう思った。算数の問題だった。

いまだに、こんなに年月がたっても、覚えている。そんなことで薄々感じたこと。それは”できないことは、悪いというか、この世ではヤバイことなのだ”、という実感であったように思う。

人はやはりそうした場所場所での思いにより、精神を、魂を形作られるものだと思う。


その学校で、いじめは、あった。


いじめにあっていた子は、僕をしたって話かけてくることが多かった。

いまだに、思う。いじめにあっていたとき、僕は助けられなかった。何十年も経っているが、いまだに考えることがある。

それを止める手段、それは自らがいじめの圧力を代わりに全て受けきって、長期的に耐えられるかどうかによる。そう思った。厳しかった。

解決策がそれしかない、というのは、どこか間違っている、という風に思ってはいた。だがたぶん、今いじめのまっただなかにいる子供たちもまた、引き続き自問自答しているのだろう。

そしてそういう教育の場は、どこかボタンの掛け違いが、ある。


池田晶子さんを知った今は、こんな風に思う。

いじめをすること、それは自分の魂に悪い。

自分のために、やめたほうがいい。


それは援助交際という名の売春をしていた少女に対し、池田さんがおっしゃったことばと、本質的には同じものだろう。

昔の自分は、ペシミスティックに、自分が身体的に強くなり、相手を圧倒することしか思いつかなかった。

池田さんを知って、ちょっとは変わったのだろうか。